しかも、ブログビジネスにとっては最も重要なブランチ、
5.表現について説明するプランになっていたのですが、
東日本大震災二年目の日となりました。
何も記事を書かず、追悼日とすべきかとも思いましたが、
震災からまもなく、『週刊現代 2011.4.23号』に掲載された対談、
『見えてきたこの国の本性』のコトを思い出しましたので、
ブロガーにとっても風化させてはいけない現実について述べたいと思います。
ノンフィクション作家として著名な佐野眞一さんと
鉄道のコトに精通した原武史さんの対談です。
原「・・・
ネットやツィッターを過大評価しすぎだと思う。
しょせんは中央にいる人間の感覚であって、
被災者へのイマジネーションが欠けている。
現地で最も有効に機能したツールは手書きの掲示板です。
・・・」
「もっとも確実なメディアは自分自身だ」と言う所以(ゆえん)です。
佐野「実際、現地へ行くと言葉を失う光景が広がっている。
・・・
宮古市の田老地区には、高さ10mというから4階建てビルくらいの
防潮堤が2.4kmにわたって築かれていた。
・・・
今回その田老で高さ37.9mの津波が記録されたと東大の地震研究所が発表しましたけど、
今度の場合、僕は津波の高さの記録ではなく、津波の記憶こそが問題じゃないかと思う。
・・・
古層の記憶というのは、平安時代に三陸地方を襲ったという貞観地震(869年)です。
今回の津波は、その古代の大地震の記憶を呼び覚ますほどの衝撃であって、
つまりこれは近現代の地震じゃない。
・・・
それこそ古代がめくれ上がるほどの出来事だったんじゃないかというのが
僕の見立てです。・・・」
今回の大震災によってめくれ上がった古代の記憶は、原発事故という未曾有の人災を伴って、
風化させてはならないし、また風化できるはずもないのです。
古代人のコトバがよみがえるとともに、
近代文明のあり方が問われているのですから・・・
近代文明のあり方が問われているのですから・・・
ボビー
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